Background

「占星術師」でも、「占星術研究家」でもなく、

「アストロロジー・ライター」と名乗っている理由をちょっと書いてみます。

 

私が社会に出たのは1994年です。

最初は、今はなき『私の部屋』という雑誌の別冊編集部でした。

前身は、長沢 節さんも連載していたような『服装』という雑誌です。

『私の部屋』も、内藤ルネさんの連載があったり、夢見がちでありながら、

新しい時代の女性の生き方、ライフスタイルを提案していました。

ここで、編集のイロハを覚えました。

 

予算がないので、自分でスタイリングもしていました。

ハンドメイドの雑誌でしたが、

フランスで創刊されたばかりの『マリ・クレール・イデー』が好き、

というのが編集長と一致して、採用されました。

日本に上陸したての「ラ・ドログリー」のかわいらしいニットをどんな風に撮るか、

それが仕事になっていたなんて、今考えるとすごいこと。

 

次に働いたのは、『グッドハウスキーピング日本版』という海外提携誌の編集部で、

こちらは、アメリカのコングロマリット、ハースト・コーポレーション発行。

日経新聞系列の出版社ですが、Sayaの連載を始めたあとで、

婦人画報社がハーストになって、ご縁に驚いたものです。

このときは、当時、アメリカで大人気だった、

マーサ・スチュアートの世界観を編集長と共有できたのが

採用された理由かもしれません。

 

海外にばかり目が向いていた私ですが、その後、ドメスティックな雑誌も見てみようと、

流通系の雑誌社に。名前を聞けば、全国誰でも知っているような媒体です。

こちらでも別冊の編集部で、今で言えば、こんまりちゃんのような収納ページとか、

インテリアページを作っていました。

ここでは、何十万人に読んでもらうための、わかりやすいページ作りを学べました。

 

そんなこんなで10年経ったときにフリーランスに。

その後は、集英社を中心に、講談社、小学館など、

さまざまな出版社と仕事をさせていただきました。

この時期に、集英社さんを中心に占いの取材も始まったのですが、

婦人画報社でも、クレジットカードの媒体で、

素敵なライフスタイルを取材するというような仕事もしていました。

芸能人のムックなど単行本の仕事もたまに。

 

星占いでのデビューは、フリーになって5年目のこと。

最初は、楽しい趣味の延長のようなつもりだったのですが、

いつのまにか、「星の人」として認知されるようになりました。

 

その流れの中で東京も離れたので、

今は、占星術以外の雑誌の仕事はたまにしかしていませんが、

私はやはり、「雑誌などメディアを通じて、読者さんと見えない交流をする」

ということが好きなようです。

 

それとともに、「心を込めて作ったもので、読者さんをエンパワメントしたい」

「世の中にちょっとだけ役立ちたい」という気持ちもあります。

今でも思い出すのは、

「阪神淡路大震災で被災したけれど、美しいページを見て元気になった」

という読者カード。私はまだ一年目でしたが、

今の星の仕事も、その延長なんだと思います。

 

だから、セッションも、読者の方が会いたくて来てくださるなら会いたい、

というスタンスです。

対面で占う仕事をメインにしたいわけではないので、文筆優先になります。

一般の占い師さんとはちょっと違うのはご理解いただけたらな、と思っています。